ゆうきまさみ論

ゆうきまさみ、という漫画家について。

かれこれ、月刊OUTという漫画でこの漫画家を知ってからそれこそ30年になるわけだが、未だに単行本は欠かさずに買っている・・・発売日に買える程の金がなかったりするので、熱烈なファン、というカテゴリには入れないかもしれないが、飽きっぽい性分においては例外的な事柄である、という認識はある。

さて、今連載している「白暮のクロニクル」「でぃす×こみ」なんか見ていても如実に現れているが、この漫画家は「日常」が安定して強い。SWOTで言うところのSがコレだ。もっと目の付け所をシャープにするなら米粒を描くのが巧いのだ。

パトレイバーの野明がご飯を食べている折、数コマだけとは言え米粒まで自然な線で表現できている、というのは、実は注目に値するのだ。

茶碗に盛られた米飯が米飯に見えない絵を描く漫画家が何と多い事か。美味しそうに見えないではないか。写真を貼り付けている漫画もしばしばあり、それを手法として否定するものではないが、露骨に浮いていてせっかくの作品を台無しにしているケースすらある中、あの自然な線で表現されたコメが何とマッチしている事か。

ここで線についても触れておこう。OUTの頃はサインペンのようなやや均一化された線で表現された絵日記漫画やらパロディ漫画であったのに対し、アッセンブルインサート、究極超人を経て徐々にあのタッチを手にしている。以来、大きく変化することなく現在までこのラインで表現を続けているわけだが、あの線を「かのエアインチョコのような」としたのは正に会心の表現であると思う。まあ、その「かのエアインチョコ」はCMしていたタレントが警察にしょっ引かれて今や居なかったも同然の扱いを受けている上に、そのエアインチョコ自体も消滅して久しいから、この表現を現在に持ち込んでも共感は得にくいかもしれない。ただ、同じエアインチョコであっても「ジャイアントカプリコのような」と表現したところでニアリーイコールではないように思えてならない。あの時代、あの空気、あの紙面であって生きた表現なのだろう。

表現方法は、カメラが趣味である(あった)こともあり、「写真的」だ。これをうまく表現する単語が思いつかないが、「レンズを通したような絵」が基礎基本だ。構図がここから大きく外れるものは割合としては極めて稀だ。だから劇中のシーンで最も「絵」になる撮影ポイントで綺麗に撮影された構図である事が、柔軟性のある線と実にマッチしていて違和感が無い。絵も線もバロックたりえない、という事だ。悪い意味ではなく。

手がけるジャンルもまた幅広い。SF、ファンタジー、ミステリー・・というザックリすぎる表現では今風ではないというのであれば、日常モノパロディモノ、召喚モノ異世界モノロボットモノ学園モノ変身モノ探偵モノ、ギャグもシリアスも恋愛もその活動歴に相応しい多様さだ。

しかし、悲しいかな「非日常」が前面に出ている漫画は、残念ながら面白くなかったりする。何度かチャレンジし、いずれのメディアでもヒットとは言えなかった鉄腕バーディ、あっさり打ち切られたパンゲアなんかがソレだ。不老不死たる非日常の能力が都度発揮されなければ成立しない白暮のクロニクルが、何処かで本当にありえそうな漫画家兄妹のでぃすこみに対してイマイチ白けてしまうのもその辺が根本にある。

ただ、白暮に関してはもう一つ明確に失敗してしまうネタを含んでいる。先の、米を表現する線の誤用だ。所謂「衝撃的なシーン」が衝撃的でないのだ。内臓がハミ出ていようと焼け焦げていようと、凄惨な死体が全くグロくない。「そういう事実」以上の衝撃が紙から出てこない。これは攻撃的になりきれない作者の性格もあるのだろう。それでいて闊達な女性が好みであるというのも作者の人柄が見えてくる。殴り合いが似合うガラじゃあないのだろう。

さて、

「代表作と言えるアッセンブルインサートでのパワードスーツに怪力少女、アンドロイドの究極超人あ~る、人型ロボットのパトレイバーの何処が日常なのか」

という意見に対しては、一見説得力がありそうだが、実はそれらの作品はその尖がっている非日常の部分が全体の2、3割程度に押し込まれており、残りの部分が強く前面に出ていることをよくよく理解すべきだろう。

詰まる所、ここがゆうきまさみたる漫画家の最も魅力的な部分であって、同時に弱点でもあるのだが、例えばパトレイバーは(まあ、原作ヘッドギアであるとか元がメディアミックスであるとか、そういった背景については勿論考慮した上で、純粋に漫画として言える事なので敢えて取り上げないとして)ロボット・・・否、レイバーにフォーカスした作品ではなくそれを取り巻いている人達も含めた作品であるのは言い切ることが出来る。何だったら漫画の連載1話目と最終話以外、レイバーが動かなくたって成立したであろうロボット漫画、それがパトレイバーである。アニメでもレイバーが動かない回が何度あった事か。

ここがロボットプロレスが無ければ成立しないRX-78ガンダムとは決定的に違うところだ。下種な言い方をすれば、商業主義の目からロボットを逸らすことが出来た稀有な作品がパトレイバーで、スポンサーと戦う為の前線に立たされたのがガンダムだ。

他の作品についても同じことだ。アンドロイドだからこそキャッチーであったわけだが、それが明かされた以降は単なる間抜けた学ラン生徒でも成立してしまうのが究極超人あ~るだ。南風まろんが怪力であっても実際に物語を引っ張るのは下河辺や出門である。キャラクター、背景が濃いので、非日常をうまいこと日常に追いやっている、キャッチーが文字通りキャッチで役目を終えているのである。勿論リリース先は世界観そのものだ。