原付に本気でキックする

先週の金曜日、原付に乗ってみたらフロントライトが消えているな、ということに気づきまして。ええ。で、ハイビームにすると点くもんだから「あれ、タマが切れてるんじゃ・・・ない・・・のか?」と散々ぱら悩んだのですが、どうもこれでもタマが切れている事に変わりはないらしい。

どういう仕組みなのかよくわからぬ。フィラメントが1つのタマの中に2つあるのか?いやーだとしたら当然通電部も3つ以上はなきゃイカンわけでして、これはちょっと普通に考えてコスト的に割に合わないだろう。でもそういうものらしい。よくわからぬ。

さて、原付の車名からしてライトは楽天で600円くらいからあったものの、送料を含めると*1そこそこの金額になってしまう事に加え、到着まで玉切れで走っていては本当に死んでしまう*2ので、悠長に待ってはおられない。仕方なく割高であることを承知で近所のバイク屋に出向いたら純正品が1000円だった。まぁこんなもんか。

昔であれば、何も考えずに交換もバイク屋に任せてしまうのだが、そこはこのインタァネッツの時代。何処かしらにこの手のブログはあるわけでして、早速ググって自力でやってみようとたくらんだ次第。

いやね、交換自体は出来たんですよ。途中でミスったかなーとか思って、エンジンかける→点灯確認→エンジン切る→エンジンかける→点灯確認・・・を3回くらい繰り返して、無事済んで、ああヤレヤレと思ったんですよ。問題はそこからですよ。土日は特に使用せず、月曜日もたまたま有給*3だったので、火曜日。そう今朝。

よもやバッテリーがあがっているとは。

殆どの諸兄におかれてはご存知かと思いますが、大抵の場合朝というのはそれほど時間的余裕がなく、不測の事態が起こればそれはもう事の多少のあれど冷や汗をかくには十分なイベントと言えます。

泣きそうになりながらキックスタートを試みます。5分ほど半狂乱でキックしました・・・が・・・・ダメ・・・・ッ!

これもうどうしていいもんか途方にくれましてね。結局今朝は家内に駅まで車で送ってもらうという、言うなれば男のフライドチキンを失うに等しい屈辱的敗北を味合わざるをえない事になりました。口惜しい。これについては殆どの諸兄におかれましてはご存知ないでしょうが、ヒエラルキーにおいて絶対的優位を崩さないための隙のない生活・・・・これが上に立つ者の心得であります。船頭多くして何とやらと言います。

 

そういうわけで、失われた男のメンチカツを取り戻すべく、明日も同じ事態にならぬよう先ほどまで原付と戯れておりました。

 

・・・が・・・・圧倒的ダメ・・・・ッ!

 

いやーこれどうすりゃいいんだろうな。パワーとかスピードじゃなくてストロークだ、というのは何となくググってわかったんだけど、しっかり最後まで踏み抜いても一瞬フロント/テールランプが点いてしまうことで全電力を消費しちゃってんじゃないだろうか。バッテリーも交換かなあ。

*1:特に昨今送料が無料にならないことを嘆く御仁が増えているが、当方の同級生には宅配員をやっているものが居る事を勘定に入れなくても適正な価格にある事は喜ばしい事だと思っている・・・デフレ脱却の一環になるか。ならんか。そうか。

*2:通勤が日の出前と日没後に加えて当然の事ながらアッサリ御用になってしまう

*3:半年ぶり

【受けてみた】国家試験【落ちてみた】

ということで受けてきました。

結果から言うと、午前1が一番の難関でした。やっぱり。

最初に計算問題がラッシュで4問くらい出たんで、「あ、ここで時間を食うのは危険だ」と即判断して後回しにしたんですが、正直正解でした。あれに時間食ってたら最後まで行けなかったんじゃあないでしょうか。50分あるとは言え、30問。1問解くのに2分はかけられません。1問1分で半分解いたとしても残り35分。ここに開始直後の受験番号記入時間と終了直前の確認時間を勘定に入れてしまうと30分ちょい。やはり実質1問2分かけられるかどうか、と言ったところ。特に問題文と4択の候補を真面目に読んでいるとそれだけで1分は確実に消費する量があったりなんかします。マークシートを丁寧に塗っている時間すら惜しく感じられ、「あと10分です」とか試験官に言われると更に焦る。

いっそ最初から計算問題は捨ててしまえば・・・とも思ったんですが、流石に緊張したのか昨日までなら指先一つでダウンだった問題も「あれ?これどっちだっけ!?」と軽くパニックになってしまったものもあり、安易に切り捨てられませんでした。

私が落ちているとしたら確実にココが原因です。

 

午前2はアホかっていうレベルでした。やっぱり。

過去問全部やっとけ以上。

 

午後1は、思っていたより時間が無かったなあ、という印象でした。これは少し意外でした。

選択の余地があるというのはある意味残酷な話。結局2、3問目を選びましたが、最初に少しだけ1の問題を読んでしまったのです。これが結構なロス。正直、最初からコレとコレ、と決めつけておいた方がマシだったかもしれません。1問40分ちょいしかかけられないので時間配分が大事なのですが、文章で回答する問題を何度も書き直したりしていると確実に失敗します。文面を考える前に書き込んだりヘタな推敲重ねないように。これもまた日頃の訓練ですなあ。

 

午後2は、ものすごく時間が余りました。これが物凄く意外。

本来であれば、問題をじっくり読む(だいたい問題だけで10ページ以上ある)のが前提としてあるので、2時間という長丁場の大半は朗読に費やされる筈ですが、数問は「穴埋め問題」があるので最初にコレをざっくりななめ読みで片付けてしまう。こうすると、いい加減ながらも粗筋が分るのと、2割程度は回答してしまうことになるので楽です。勿論その2割は確実に正解している事が求められるでしょう。でもその辺は午前2とあんまり変わらないから。

残った問題についてはコツがあります。過去問を解いていれば自明なんですが、問題で「下線2で示されている~」とかいう場合、その下線2の周辺だけ読み返せば大体OKなのと、それで小学校の国語のテスト並みにドンピシャの回答が見当たらない場合は、遡って読んでいくと必ずヒントがあるという事です。回答に「脆弱性」って言葉が使いたいのに漢字が解らない・・・!なんて場合、まず間違いなく問題文のどっかにあります。無ければ、多分その回答は間違ってます。親切な事に、パッチの「適用」とか「配信」とか「インストール」とかの単語も必ず統一されていて表記にブレが無いので、回答時にはそこら辺の表現方法はキッチリパクらせてもらいましょう。

稀にノーヒントのこともありますが、その場合はシステムで対処できる問題ではなく、人に起因する問題になっているので、「持ち運びに注意」とか「教育体制が」とか、スットンキョウな運用に関する回答が求められていると思って間違いありません。

 

それにしても、年齢層が幅広い試験でしたね。20代から30代が割と多いように見えましたが、60代じゃないかって人もチラホラいました。そこまでの年齢の人が受けるような試験でもないように思えますが。

また、これも結構ビックリなのが、そもそも受けに来ない人が大量にいる、ということです。これは過去の資料からもわかってはいたんですが、自分の受験した試験会場でも4割はいませんでした。うーんその気があって申し込んだんだろうに。5700円。もったいない。

試験官に携帯の電源は落とせって言われてんのに落とさない人が結構いましたね。しかし、「携帯の電源を落として鞄にしまい、足元においてください。従わない場合は試験を受けられない場合があります」という微妙な説明がある一方、「採点されません」という説明事項もあるので、なんでか携帯に関してだけはギリグレーみたいな扱いなんでしょうか。謎でしたね。

明日国家試験であります。

何、国家試験と言ってもアレです。情報処理安全確保支援士。登録セキスペというやつ。安直に取れる士業が無いかなと思ってチョイスしてみたんですが、これがないとやっちゃいけない仕事が無いので「業」にならんのですよね。実は。

この試験、調べた限りでは午前中に午前Iと午前IIの2つの試験があり、どちらも四択。違いは、I が応用情報技術者試験によく似た一般的な基礎知識を問うもの。II がセキュリティに関する基礎知識を問うもの。やってみればわかりますが、ぶっちゃけた話、I の方が範囲がベラボーに広く、知らなければならない知識の総量としてはかなりのものになります。法律面だけ見ても個人情報保護法からPL法から不正競争防止法TLO法にまで及んだりします。分野が絞られているだけ II の方が楽。

どちらの過去問も以下からチャレンジできます。

応用情報技術者過去問道場|応用情報技術者試験.com

情報処理安全確保支援士過去問道場|情報処理安全確保支援士.com

午後も午後I と 午後II に分かれており、こちらは問題の傾向としてはほぼ同じ。ただ、I は規模が小さめ、というだけ。記述問題ですが、まあ論文を書くわけではない(これがさらに上位のITストラテジだと午後は1000文字オーバーの論文を書かなければならない)ので、問題文のどっかにヒントが埋め込まれている分、純粋に知識を問う午前問題よりも外した時に悔しい。そんな試験*1です。

 

ちなみに合格率はだいたい15%くらい。足きりタイプなので、4つの試験で1回でも基準点を下回ったら次の試験には挑むこともできないという割と思想的にはシビアなのかもしれません。

 

ぶっちゃけ、ダメならまた秋受けるだけなんで緊張感はあんまりないんですけども。

 

とりあえず頑張ってきます。

*1:私見とも言う

馬鹿をなめたらいけないよ

冒頭のフレーズは、ネット界隈で情報を吸って脳へ妄想を送り込む日々を送っている人には割とメジャーだろう。どこから馬鹿か、という線引きは人によって違うが、どのような線引きだとしても実は結構馬鹿はいるのである。当たり前の事だが。

何だってこんなことを書き留めているのかと思えば、どこのブログでもSNSでも掲示板でもハチミツの離乳食だの何だのというネタに対して炎上しているのをボンヤリ眺めてしまったからだ。兎角この手の発火/炎上/延焼/分析の流れには色々言いたいことがある。*1

 

まず、ハチミツの離乳食をレシピとして真面目に書いているのは明らかに色々頭の足らない人だ。それも文字通り致命的に足らない人だ。実に残念な一定数の馬鹿が、面白い事に緩やかに滅んではいかず、一見他の情報と等価に扱えるのが最初の問題点だ。普通*2は情報の価値に応じて拡散出来る範囲が制限できなければならない。ヨタ話が全国紙の一面トップにいてはならないだろう*3

次に、それについてあらゆる方面からあらゆる手段をもってツッコミを入れてしまうという炎上プロセス。一定数の馬鹿よりは上の頭脳ヒエラルキーの方々だ。正義感でも嘲笑でもなんでもよろしい。「それは間違っている!」とツッコミを入れてしまう、相方に相応しいポジショニング。ツッコミのタイミングも絶妙だ。例えば10年前の過疎ブログとか見つけてきてツッコミ入れたって大して炎上など期待できまい。フレッシュなネタに全力で「なんでやねん!!」とハリセンキックを入れるからいい感じで「空気があったまる」のである。スルー出来ない、大阪気質なのであろう。へーちょ

積極的消極的のどちらでもいいが、敢えてのツッコミにより一層拡散してしまうというのがただのツッコミに留まらない問題ではあるが、ツッコミの数が多ければ注目度が上がる、というのはある意味間違っていないのかもしれない。先の情報の価値云々の基準によれば、価値のない情報へのツッコミもまた価値が無い筈なので、拡散範囲は狭くあるべきなのだが、これは善悪も絡んでくるので判断が難しい。これが2つ目の問題点だ。

しかしながら、ここまではまあまあ理解できる。

 

が、これを抽象化して何らかの結論を出そうと考えるのは明らかに間違っている。曰く、人類/日本人にインターネットは早すぎた、マスメディアの能力が一般人に開放される事は希望に満ち溢れていた世界を呼んだりはしなかった・・・・などなどだ。これが最後の問題点で、しかし本来最も踏みとどまらなければならないのに、踏みとどまれないよろしくない点だ。実際は勿論これより前に踏みとどまれるようになるのが美しくはある。

日常的に情報を吸い上げている、と表現したのが正にコレだが、日々空気を吸っている事実がありながら、たまたま通りかかったダンプカーの排気ガスに咳き込んだ時だけ「日本の空気は汚くなった」だのと嘆いているのが大抵の炎上騒ぎ(の末期)だ、ということだ。

残念ながら、綺麗な空気を吸っているのが当たり前になると刺激に敏感になるのが人の業というものだ。故にダンプカーの排気ガスが目立ってしまい、それについて必要以上に大きく騒ぎ立てたくなってしまうのだ。また、その騒ぎを見てしまうと自分も騒ぎ立てたくなってしまうのだ。なんせ情報を広範囲にタレ流すだけのコストなら歴史上最安価な時代だし、その手段はどこにでも転がっている。*4

そしてそこまでの流れに何らかの総括をしたくなってしまうのも、これもまた人の常というのは確かだ。 あらゆる事象は、最終的には学問に落とし込まなければならない。これは輝かしい未来のためにそうするべきなのだが、いかんせん大概の炎上はまったくもってまだまだインターネット、果ては人が作り出す何らかの最終段階になってなんぞいない。だから、安直に全体を指して嘆くものではない。少なくとも「交通戦争」なる言葉が説得力を持っていた時代に、自動車業界が暗雲垂れ込める未来であると言ったものなどいないのだ。

体感に基づく意見だが、いやはや、80年代に比べて巷の空気は明らかに良くなっている。星は見えやすくなったし、路地裏が多少渋滞した程度で灰色の空気が蔓延したりはしなくなっている。あのハイブリッドカーのモーターが生み出す「ヒィィィィ」という高音は・・・まぁ私自身がその「ヒィィィ」という自動車が売れたら売れるだけメシが食えるという商売であるにも関わらず・・・どうにも好きになれないが、東京に1日いるだけでハナクソが真っ黒になるような、そんな時代ではなくなっている。当時絶望している人が多数なら、こんな未来はなかった筈なのだ。

 

最後に。*5

馬鹿というカテゴリー自体の受け止め方も人によって違う。そりゃもう人類の最下層に位置するくらい卑下した表現としての侮蔑として使っているのが冒頭のイメージに近かろうが、「メイの馬鹿、もう知らない!」は明らかにそれとは異なる馬鹿であろう。

*1:ちなみにこの記事は分析の後の分析である

*2:普通というと違和感があるなら、ヒューリスティックな観点から言えば、だ

*3:あ、でも25年くらい前に見たインドの新聞に「ヨガの修行で空飛んでたら飛行機のエンジンに吸い込まれて死亡」とかいう記事があった事実だけは白状しておく。

*4:ああ、なんと理想的ユビキタスな世界の実現であろうか。

*5:段々とりとめが無くなってきたしそもそもちゃんと纏まっていないからそろそろ面倒になってきていて終わりたいという意味

ゆうきまさみ論

ゆうきまさみ、という漫画家について。

かれこれ、月刊OUTという漫画でこの漫画家を知ってからそれこそ30年になるわけだが、未だに単行本は欠かさずに買っている・・・発売日に買える程の金がなかったりするので、熱烈なファン、というカテゴリには入れないかもしれないが、飽きっぽい性分においては例外的な事柄である、という認識はある。

さて、今連載している「白暮のクロニクル」「でぃす×こみ」なんか見ていても如実に現れているが、この漫画家は「日常」が安定して強い。SWOTで言うところのSがコレだ。もっと目の付け所をシャープにするなら米粒を描くのが巧いのだ。

パトレイバーの野明がご飯を食べている折、数コマだけとは言え米粒まで自然な線で表現できている、というのは、実は注目に値するのだ。

茶碗に盛られた米飯が米飯に見えない絵を描く漫画家が何と多い事か。美味しそうに見えないではないか。写真を貼り付けている漫画もしばしばあり、それを手法として否定するものではないが、露骨に浮いていてせっかくの作品を台無しにしているケースすらある中、あの自然な線で表現されたコメが何とマッチしている事か。

ここで線についても触れておこう。OUTの頃はサインペンのようなやや均一化された線で表現された絵日記漫画やらパロディ漫画であったのに対し、アッセンブルインサート、究極超人を経て徐々にあのタッチを手にしている。以来、大きく変化することなく現在までこのラインで表現を続けているわけだが、あの線を「かのエアインチョコのような」としたのは正に会心の表現であると思う。まあ、その「かのエアインチョコ」はCMしていたタレントが警察にしょっ引かれて今や居なかったも同然の扱いを受けている上に、そのエアインチョコ自体も消滅して久しいから、この表現を現在に持ち込んでも共感は得にくいかもしれない。ただ、同じエアインチョコであっても「ジャイアントカプリコのような」と表現したところでニアリーイコールではないように思えてならない。あの時代、あの空気、あの紙面であって生きた表現なのだろう。

表現方法は、カメラが趣味である(あった)こともあり、「写真的」だ。これをうまく表現する単語が思いつかないが、「レンズを通したような絵」が基礎基本だ。構図がここから大きく外れるものは割合としては極めて稀だ。だから劇中のシーンで最も「絵」になる撮影ポイントで綺麗に撮影された構図である事が、柔軟性のある線と実にマッチしていて違和感が無い。絵も線もバロックたりえない、という事だ。悪い意味ではなく。

手がけるジャンルもまた幅広い。SF、ファンタジー、ミステリー・・というザックリすぎる表現では今風ではないというのであれば、日常モノパロディモノ、召喚モノ異世界モノロボットモノ学園モノ変身モノ探偵モノ、ギャグもシリアスも恋愛もその活動歴に相応しい多様さだ。

しかし、悲しいかな「非日常」が前面に出ている漫画は、残念ながら面白くなかったりする。何度かチャレンジし、いずれのメディアでもヒットとは言えなかった鉄腕バーディ、あっさり打ち切られたパンゲアなんかがソレだ。不老不死たる非日常の能力が都度発揮されなければ成立しない白暮のクロニクルが、何処かで本当にありえそうな漫画家兄妹のでぃすこみに対してイマイチ白けてしまうのもその辺が根本にある。

ただ、白暮に関してはもう一つ明確に失敗してしまうネタを含んでいる。先の、米を表現する線の誤用だ。所謂「衝撃的なシーン」が衝撃的でないのだ。内臓がハミ出ていようと焼け焦げていようと、凄惨な死体が全くグロくない。「そういう事実」以上の衝撃が紙から出てこない。これは攻撃的になりきれない作者の性格もあるのだろう。それでいて闊達な女性が好みであるというのも作者の人柄が見えてくる。殴り合いが似合うガラじゃあないのだろう。

さて、

「代表作と言えるアッセンブルインサートでのパワードスーツに怪力少女、アンドロイドの究極超人あ~る、人型ロボットのパトレイバーの何処が日常なのか」

という意見に対しては、一見説得力がありそうだが、実はそれらの作品はその尖がっている非日常の部分が全体の2、3割程度に押し込まれており、残りの部分が強く前面に出ていることをよくよく理解すべきだろう。

詰まる所、ここがゆうきまさみたる漫画家の最も魅力的な部分であって、同時に弱点でもあるのだが、例えばパトレイバーは(まあ、原作ヘッドギアであるとか元がメディアミックスであるとか、そういった背景については勿論考慮した上で、純粋に漫画として言える事なので敢えて取り上げないとして)ロボット・・・否、レイバーにフォーカスした作品ではなくそれを取り巻いている人達も含めた作品であるのは言い切ることが出来る。何だったら漫画の連載1話目と最終話以外、レイバーが動かなくたって成立したであろうロボット漫画、それがパトレイバーである。アニメでもレイバーが動かない回が何度あった事か。

ここがロボットプロレスが無ければ成立しないRX-78ガンダムとは決定的に違うところだ。下種な言い方をすれば、商業主義の目からロボットを逸らすことが出来た稀有な作品がパトレイバーで、スポンサーと戦う為の前線に立たされたのがガンダムだ。

他の作品についても同じことだ。アンドロイドだからこそキャッチーであったわけだが、それが明かされた以降は単なる間抜けた学ラン生徒でも成立してしまうのが究極超人あ~るだ。南風まろんが怪力であっても実際に物語を引っ張るのは下河辺や出門である。キャラクター、背景が濃いので、非日常をうまいこと日常に追いやっている、キャッチーが文字通りキャッチで役目を終えているのである。勿論リリース先は世界観そのものだ。